bellドビッシーの頃のピアノ、20Cのピアノ

C.Debussy肖像画 印象主義の音楽の先駆者となったフランスの作曲家ドビッシー(1862-1918)は、 音楽を外界(ほのかな影やとらえがたい輪郭の世界)から受け取ったさまざまな印象を映し出す鏡と考えました。 それはちょうどマネ、モネ、ルノワールといった印象派の画家達の絵の世界を連想させます。
そしてそんな新しい着想を実現するために伝統的な形式を完全に棄て、平行和弦と全音音階といった新しい作曲技法を生み出しました。

ボタン 平行和弦
協和であれ不協であれ、一定の和弦の形を音階上で連続して鳴らすこと。和弦を構成する全ての音は平行運動を繰り返す。

ボタン全音音階
全音6個からなる音階。
音程が全て平均しているため、tonic, dominantなどの機能的な意味を持たない。

いずれも音の機能づけを排除し、規則的な音の結びつけのもつ力で色彩感を表し、 ダイナミックな力の代わりに色調の起伏をおくという、印象主義の特色を示している。

印象主義は反ドイツ至上主義、反ロマン主義からおこったものといえますが、ロマン主義の主観主義と感情過多への反発の先頭に立ったのがやはりフランスの作曲家 E.サティー(1866-1925)です。
彼の楽譜には小節線がなかったり、ff, mp, cresc. dolce といった伝統的な発想記号の代わりに ”歯の痛むナイティンゲ−ルのように”とか”思考の突端から”といった明らかに風刺的な指示を書いたりしています。 また「梨の形をした曲」「犬のためのぐにゃぐにゃしたプレリュード」といった題をつけ、形式にこだわっている従来の作曲法を風刺しました。

20Cに入り、作曲家達は試行錯誤を重ね、独自の技法を生み出しました。
12音技法による無調性を樹立した
A.シェーンベルク(1874-1951)。
アフリカの原始的なドラム中心の民族音楽に影響を受け、ピアノに打楽器的用法およびリズムをとりいれたB.バルトーク(1881-1945)。
また第一次大戦後には、アメリカ・ジャズがヨーロッパに紹介され、作曲家達はラグタイム、フォックストロット、シンミイなど のわくわくするようなリズムと大胆なシンコペーションの持つ可能性に飛びつきました。 1918−30年にかけ、ジャズのリズムと既に受け入れられていた不協和感のスタイルを結びつけた曲が沢山作られました。

このように印象主義以降の音楽は、完全に形式から離れた、いわば無秩序状態で作られていきましたが、 そんなさなか再び”バッハに帰ろう”という運動が起こりました。1920年頃から起こった新古典主義がそれです。 バッハへの復帰は組曲、トッカータパッサカリアなどの古い形式を復活させ、感情に溺れない客観的で表情の冷たい新しいスタイルを作りました。
ただし現代の対位法は不協和なタイプのもので、和声的な響きは無視されています。
またこの運動を代表する作曲家P.ヒンデミット(1895-1963)はそれまで敬遠されてきたソナタの分野で活動しました。

こうして、進歩的な要素と伝統的な要素の結合がなしとげられ、そこから新しい音楽の未来が開けていくのです。

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